
1. スティーブンステクニック(スティーブンスグリップ)
スティーブンステクニックとは、マリンバ(木琴)など、主に鍵盤打楽器を演奏する際に用いられる演奏技術、演奏方法の一つです。
スティーブンステクニック、スティーブンスグリップ、マッサー・スティーブンスグリップなど、その呼び名は様々ですが、すでに鍵盤打楽器を演奏している方であれば、いずれかの名前を聞いたことがあるかも知れません。
残念ながら、日本では直接見たり聴いたりする機会があまりないため、これがどのような技術なのか気になっている方は少なくないでしょう。
マリンバを余り知らずに読まれている方のためにも、まずは簡単な鍵盤打楽器の概略に触れたあと、握り方や動きといった具体的な解説ではなく、この演奏法の置かれた状況や取り組む姿勢など、少し広い視点から紐解いてみたいと思います。
実際にマレット(ばち)を手に取る前段階の補足として、スティーブンステクニックに限らず、マリンバや鍵盤打楽器に興味がある方々のお役に立てれば幸いです。
スティーブンステクニック(スティーブンスグリップ)のレッスン、より具体的な御質問や御相談等を希望される方は、CONTACTよりお問い合わせください。
2. 鍵盤打楽器の発展
マリンバやヴィブラフォン、シロフォンといった、木琴・鉄琴などの鍵盤打楽器は、近代アメリカを中心に目まぐるしい発展を遂げました。
その起源には諸説ありますが、世界各地で似たような構造の伝統楽器が存在し、それぞれが土地や文化を反映する個性的な特徴をもち合わせています。
これら伝統楽器に共通する点として、木や金属などで作られた音板を叩き、その音を箱や管などで共鳴、増幅させる、というシンプルな構造が基本にあり、それは現代の鍵盤打楽器でも大きくは変わりません。
そして、普段、わたしたちが学校などでみかける形におおよそなったのは19世紀後半になってからでした。
以後、世界中の音楽家と楽器メーカー、両者の絶え間ない熱意と想像力によって徐々に形を変え、今では美しい音色をもつ楽器の一つとして数えられるまでになりました。
今日に至るまで、この楽器への情熱は脈々と受け継がれており、いまだ未完成の楽器として様々な可能性が日々模索されています。
その歴史の大きな転換点の一つに、4本もしくはそれ以上のマレットを同時に駆使する演奏技術が確立したことで、和音(ハーモニー)という要素がより積極的に取り入れられるようになったことが挙げられます。
それまでは片手に1本ずつ、合計2本のマレットによるメロディやリズムの表現が中心だったところに、片手に2本ずつ、合計4本のマレットを用いることで、より容易に、そして瞬間的に和音の演奏が可能になり、表現の幅が格段に広がったのです。
更に、4本マレット独自の演奏法の開発や、音域の拡大、楽器の大型化などが進むことで、次第にソロ楽器としての地位が確立されていくこととなります。
この4本マレットの技術がいつから用いられていたのか定かではありませんが、西洋音階という巨大な言語との結びつきが大きな糸口となり、鍵盤打楽器だけでなく、音楽における打楽器全体の価値が見直されるきっかけにもなりました。
その後、オーケストラだけでなく、室内楽や打楽器アンサンブル、ジャズやポピュラー音楽など、打楽器の役割があらゆる場面で重要視されるようになり、かつては珍しい音楽だったものも今では私たちに違和感なく受け入れられるようになったのです。
スティーブンステクニックも、その過程で生まれた比較的新しい4本マレットの演奏法の一つで、それまでの演奏法とは全く違う技術と新しい表現力の登場に、当時の鍵盤打楽器の世界は大きな衝撃を受けました。
その革新的な演奏技術のいくつかは、その後の鍵盤打楽器におけるスタンダードとなり、音楽的かつ技術的な発展に大きく貢献しました。
3. 4本マレットの奏法、グリップ
ところで、片手に2本のマレットを持ちたい場合、皆さんはどのように握るでしょうか。
マリンバやヴィブラフォンの演奏をご覧になった方であれば、2本のマレットを片手の内で広げたり狭めたりして演奏しているのを見て驚かれたことと思います。
実はこの握り方(グリップ)に関しては、これまで様々な演奏家が試行錯誤を繰り返しており、以下に挙げる例の他にも、マイニエリグリップ、ゴーディーグリップなど幾つか存在しますが、現在では主に4つの奏法が広く知れ渡っています。
1.トラディショナルグリップ
2.バートングリップ
3.マッサーグリップ
4.スティーブンステクニック(マッサー・スティーブンスグリップ)
更に分類すると、1と2はクロススティック、もしくはディペンデントグリップ(2本のマレットが手の内で交差し重なり合う)、3と4はインディペンデントグリップ(2本のマレットが互いに干渉することなく各々独立している)に大別されます。
それぞれのグリップ、奏法に単純な優劣をつけるのは音楽的に殆ど無意味なことですが、各々に優れた点や得意とする動き、音質、スタイルなどに特色があります。
個別の詳しい解説は書籍やインターネット上に沢山あるのでここでは割愛しますが、日本ではトラディショナルグリップによる演奏が昔からの主流となっています。
ご存知の方も多いかも知れませんが、日本は世界でも有数のマリンバ大国です。
音楽家のみならず、一般にまで広くこの楽器の名前が知られているのはとても珍しいことなのです。
これは近代マリンバの黎明期より、数多くの日本人演奏家と作曲家、そして楽器メーカーが一丸となって行った精力的な普及活動の成果であり、また新しい表現への欲求と創意の歴史でもあります。
そしてこの流れと並行して、トラディショナルグリップという奏法が日本国内で広く浸透していくこととなりました。
一方で、海外では自身の求める音楽を表現するために、新しい奏法を自ら考案する演奏家が現れました。
鍵盤打楽器奏者で作曲家、楽器製作まで多岐に渡る活躍を成したクレア・オマー・マッサー、ジャズミュージシャンでヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートン、そしてその中で最も新しい奏法が、アメリカのマリンバ奏者リー・ハワード・スティーブンスによって考案された、スティーブンステクニック(マッサー・スティーブンスグリップ)と呼ばれるものです。
海外と言いましたが、厳密にはこれら3つの奏法は全てアメリカで派生的に誕生しました。
その背景には、当時の経済や政治、文化など様々な要因が考えられますが、中でもジャズ・ポピュラー音楽と録音技術の登場が大きく影響しています。
バークリーメソッドとそれに基づく即興演奏の隆盛が、4本のマレットを駆使することで、和音を重視した音楽表現を後押しすると同時に、録音という新しいテクノロジーにとって鍵盤打楽器(シロフォン)の音色が特に有効だったことで、当時のアメリカの音楽界において鍵盤打楽器のニーズが高まっていました。
そして1950年代、ビバップなどジャズ音楽が全盛期を迎えた頃、ニュージャージー州でリー・ハワード・スティーブンスは生まれます。
当初は、有名なジャズドラマーであるジョー・モレロなどのもとでドラマーになることに憧れている少年でしたが、後に自身の才能がマリンバでより発揮できることに気づき、のちに彼の名前が世に知れ渡るようになったのは70年代後半になってからでした。
ジャズではクロスオーバーが流行し、ロックからニューウェイブ、シンセサイザーなどの電子音楽が広がりをみせるなど、音楽全体に「より新しいもの」を求める動きが加速していました。
その中でスティーブンスが考案した技術は、確かに「より新しいもの」ではありましたが、その着想の一つはむしろ対位法のようなクラシカルな表現にありました。
1本のマレットが他から干渉されることなく、それぞれ自由に独立して機能すること。
技法的にはむしろシンプルな発想にも関わらず、そこから奏でられる音楽には、それまでの鍵盤打楽器にはなかった多種多彩な音色が一つの楽器から紡ぎ出されていました。
4. クロススティックの普及と安定性
少し専門的な話になりますが、参考までにグリップの謎に触れたいと思います。
トラディショナルグリップは、日本国内をはじめ、世界中で今日まで長く愛されている、その名の通り伝統的な奏法なのですが、不思議なことに、その歴史に比べて関係する資料はとても少なく、詳細な文献が書かれたのは90年代に入ってからかでした。
では、なぜトラディショナルグリップはこれほどまで広く、また急速に普及したのでしょうか。
その理由の一つに、誰でも始めやすい握り方にあります。
スティーブンスの言葉を借りるならば、「安心できる感覚」、「錯覚した安定性」を早い段階で感じることができるからです。
このクロスグリップの安定性の秘密に、スティーブンスはマレットの長さと握る位置を挙げていますが、他にもクロススティック特有の2つの理由があります。
まず、手の内で1本のマレットを動かす際に、別のマレットが支点の一部となってその動きの補助をすること。
次に、2本のマレットを「握る」、拳を握るように掴む基本的な動きにあります。
一つ目の、「動きの補助」に関しては、中級者くらいの人であるば分かりやすいと思います。
力を抜いてマレットに自由な動きを与えようとすると、2本のマレットの柄が互いにぶつかり合い、カチッというノイズが生じることが多々あります。これを避けるために柄にテーピングなどを施す人も多いですが、この現象は2本のマレットの相補関係、交差点で互いに支え合うための基本位置に戻ろうとすることが原因です。
大きな音を出そうとする状況下では、その関係は更に顕著になります。互いのマレットが一点で離れず支え合うことで、手首などを利用した大きな動きから生じるマレットのぶれを軽減させ、よりダイレクトに力の伝達を可能にする働きが生まれます。
2本のマレットが一組となることで、その利点が最大限に引き出される、クロススティックの最大の特徴です。
二つ目に、「握る」「基本的な動き」ですが、試しに空中でマレットを使わずに構えて開閉する操作をしてみて下さい。
トラディショナルグリップは小指、バートングリップは薬指が中心になりますが、どちらも手が拳を作る動きと似ているはずです。
拳を作る、つまり力の方向が内側へ向かうとき、クロススティックが最も安定性を高める瞬間です。
握る動きは人間にとって日常的な動きのため、最初からグリップに大きな違和感を抱くことなく容易に演奏の段階へと進むことができるのです。
これらは決して欠点ではなく、本来、クロススティックが安定性を意図したグリップであることを意味します。
構えとマレットの初歩的な操作であれば僅か15分もあれば説明できてしまう、その伝授に必要な時間の短さがクロススティックの、特にトラディショナルグリップの優れた点であり、その後の打楽器の世界にもたらした貢献は計り知れません。
裏を返せばこの取り組みやすさゆえに、グリップの複雑な操作や運動などに関するより高度なテクニックは、個人の才能と努力に委ねられるケースが起こりやすいともいえます。
例えるならば、目前の扉の鍵だけ渡され、いざ開けてみると真っ暗な闇が広がっているような状況です。
もしこの先、安定性というロウソクだけを頼りに進むのであれば、それは途中まで、それもかなりの時間、あなたの行先を照らし続けてくれるでしょう。
しかし、いずれこの光が届かない場所に辿り着く日が必ず訪れます。
というのも、安定性とコントロールに対する誤解は経験として強固に根付きやすく、この自ら積み上げてきたものに対して人は盲信しがちだからです。
卓越したコントロールこそがあらゆる状況下での安定性をもたらすのであり、その逆は成り立ちません。
マレットの安定感を優先してコントロールを意識すると、身体のどこかに過度な負荷がかかり、余計な緊張を生み出してしまう悪循環が起こります。
例えば、インターバルチェンジ(2本のマレットの開閉操作)は、トラディショナルグリップにおいて悪循環が起こりやすい動作の一つです。
一定のインターバルを超える、マレットを広げる操作を行うと、人差し指と親指に負荷がかかり、それに合わせて小指や総指伸筋に緊張が伴います。
この緊張を上手に解くことなく次の動作に移ってしまうと、指や腕だけでなく、別の箇所にまで負荷をかけることになってしまいます。
クロススティックの「握る」という自然な動作は、同時にとても強い力を容易く瞬時に生み出すため、複雑な動きをする際に安定性を補おうとする、コントロールに不必要な筋肉が無意識に働きやすいのです。
こうした体の緊張や不必要な動作が間違った音や意図しない音質を叩く原因の一つになるように、安定性の魔力がコントロールを疎かにしていないか常に気を配る必要がありますが、最初から安定性に頼った練習に慣れてしまうと簡単にそれを手放すことは難しくなってしまいます。
トラディショナルグリップの修得に多種多様なアプローチが存在することで、非凡な演奏家が生まれるという恩恵があったのも事実ですが、それ以上に、暗闇の中で延々と手探りを続ける人や、扉を探すことをやめ立ち止ってしまう人たちが多くいたでしょうし、それは今もあまり変わらないことでしょう。
もちろん、スティーブンステクニックにも道半ばで挫折した人は多いでしょう、しかし、日本国内において両者への取り組む状況は少し異なっています。
一つに、トラディショナルグリップあるいはクロススティックという根強い判断基準、もう一つに、スティーブンスの著書である『Method of Mouvement for Marimba with 590 exercises』という解説書の存在です。
5. 前提となる技術、新しい技術へのアプローチ
長い年月を経て、日本におけるトラディショナルグリップはその取り組みやすさもあってか、今では円熟した演奏技術にまで進歩しましたが、若い演奏家が4本マレットの技術を習得するにあたり、それを伝える先人の殆どがトラディショナルグリップの演奏家であり、そもそも他の異なる奏法を学ぶという選択肢がなかった、という一面があります。
この状況に特別不自由を感じない理由に、師弟関係や伝統を重んじる日本人の民族性が一因としてあるかも知れませんが、一方で、新しい奏法に興味を示す若い演奏家が出てくるのもごく当たり前のことです。
しかし、残念ながら日本でその他の奏法、特にスティーブンステクニックを学ぶ環境は今日に至るまで充分とは言えない状況です。
トラディショナルグリップで演奏する音楽家たちが、それぞれ独自の工夫を凝らすことで千差万別のグリップがあるように、スティーブンステクニックもまた無限の個性を表現できる奏法であり、その技術の修得に絶対的な道筋はありません。
とはいえ、基本的な技術を身につける上で、先人の助言は修得への近道となるのも事実です。
スティーブンステクニックも、握り方と初歩的な操作であればトラディショナルグリップと同じくらいの時間で伝えることはできます。
しかし、その後の比較的早い段階でつまずいてしまうのはほぼ確実といって良いでしょう。
というのも、スティーブンステクニックはクロススティックに比べて細かい複雑な操作性が要求されるため、独自の解釈を加えた間違った状態で続けてしまうことが多く、たくさんの若い音楽家が基礎的な段階で苦労する姿を幾度となく見てきました。
日本国内での指導者の少なさに加え、この初期段階での技術的な難しさが、スティーブンステクニックの普及が遅い原因でもありますが、加えてクロススティックの延長で捉えてしまうことが継続の大きな妨げとなっているケースが頻繁に見受けられます。
手首や指の動きなど、スティーブンステクニックはそれまでと全く異なるコンセプトに基づいて構築されており、それを言葉や文字で理解していても実際に身体に染みついた動きを修正するのは簡単なことではありません。
ここで気づかれた方もいると思いますが、つまり、日本でスティーブンステクニックを学びたい人の多くは、既にクロススティックによる4本マレットの技術をある程度身につけていることがほとんどなのです。
言い換えれば、自らの培った技術をもとに、スティーブンステクニックを対象として「比較」してしまう、それまでの経験や教えが判断基準として前提となってしまう、ということです。
経験は自信という大きな武器になりますが、同時に視野を狭くしてしまう危険も伴います。
特に、音大生などは日々の課題に取り組むことで手一杯なはずです。
既にトラディショナルグリップなどでの演奏を学んだ彼らが、新しい技術の修得と、明日の課題の遂行に必要な両者の時間を天秤にかけたとき、コントロールに慣れた奏法を選択するのは当然のことです。
次々と与えられる難しい課題をこなしていくことは、若い演奏家にとって大事なモチベーションとなりますが、新しい技術の練習のために限られた時間を費やすことで、これまでの歩みを止めてしまう、後退してしまうのではないか、という不安が常に付き纏います。
不安のなか、あえて不慣れな新しい技術で目の前の難しい課題に取り組むのであれば、その行為は非効率と言わざるを得ないでしょう。
加えて、スティーブンステクニックにはトラディショナルグリップで感じる最初の安定性が少ないため、安定感に魅せられた人の目には元のグリップがより実戦的に映ることでしょう。
このような理由でスティーブンステクニックを断念した人は少なくありません。
初めからスティーブンステクニックを学んでいればこのような状況は起こりにくいはずですが、トラディショナルグリップの定着と指導者不足、特に鍵盤打楽器のレベルが世界で著しく向上したことで、若年期から4本マレットの演奏の修練を始める、これらの事実が新しい技術への挑戦を困難にしています。
さて、ここで彼ら経験者に共通する考えは、クロススティックからスティーブンステクニックへの移行、という発想です。
トラディショナルグリップ、もしくはスティーブンステクニック、そのどちらかを、一つの奏法を選ばなければならない、果たしてこれは正しい考えなのでしょうか。
そもそも、両者は同時に会得できない技術なのでしょうか。
一つの技術を極めることに終わりはない、それは間違いないでしょう。
しかし、そのことが他の技術を学んではいけない理由にはなりませんし、むしろ排他的で固執した考えに傾倒してしまうかも知れません。
クロススティックとスティーブンステクニックを並行して学ぶ、何も悪いことではありません。
楽器や曲によって複数の奏法を使い分ける音楽家を多く見てきましたが、それはそれぞれの奏法に表現の向き不向きがあるためです。
大事なのは、トラディショナルグリップの経験を全て捨てるのではなく、別個の新しいものとしてスティーブンステクニックに取り組むということです。
外国語を学ぶことで母国語に思いがけない発見をするように、スティーブンステクニックを自然に体得した時、クロススティックの経験が形を変えて見えてくるとともに、2つの奏法の相互作用が音楽に豊かさを与えてくれるはずです。
もしスティーブンステクニックを学ぶ過程でクロススティックの演奏に支障を感じたならば、それはスティーブンステクニックを正しく理解していないことを証明しています。
それほどまでに両者は異なった技術であり、それぞれ魅力ある個性に溢れているのです。
6. 『Method of Mouvement for Marimba with 590 exercises』
今から40年近く前、スティーブンス本人が自身のテクニックを解説した著書、『Method of Mouvement for Marimba with 590 exercises』(以下、M.O.M.)が出版されました。
それまで誰も想像しえなかった新しい奏法と表現力、当時、多くの音楽家が彼の演奏に魅了され、そのメカニズムや理念を知りたい人が彼のもとに多く押し寄せました。
こうした人々への求めに広く応えるためにまとめられた無二の教本として、今なお世界中の打楽器奏者に広く読まれているのがM.O.M.です。
これを読まれている方のなかにも、「スティーブンステクニックをゼロから学びたい」という目的で本を開いた方も多いのではないでしょうか。
今では日本語に翻訳されたものも出版されていますから、昔よりスティーブンステクニックを始める敷居は低くなっているかも知れません。
テクニックの解説書のよくある例として、奏法などの解説自体を短く簡潔にまとめ、その技術を伸ばすためのエクササイズや練習曲などをたくさん並べているものがあります。
大まかにいえば、そのテクニックや奏法の理念や構え、動きなどに関する記述を必要最低限に留めて読者の自主性や独創性を促すセクションと、その奏法の特徴を実感できたり習得に役立つ様々な譜例を並べることで、より具体的で実践的なアプローチを行うセクションの前後半で構成されています。
読者には早くその技術を身につけたい、すぐに譜例を実践したい、という気持ちがありますから、コンパクトな解説部分はその導入に良い効果をもたらしているかも知れません。
反面、後半の譜例を追うことに夢中になってしまい、その奏法の本質を見失ったまま音符をなぞるだけの単純作業になってしまったり、自分の解釈が間違っていないか不安になる怖さもあります。
同様に、M.O.M.も解説と譜例から構成されていますが、前半の解説部分は約35ページ、後に補説された箇所も含めれば40ページ以上の膨大な量(日本語版)に上ります。
後半のエクササイズの譜例はおよそ50ページほどですから、一冊の解説書としてほぼ半分をその奏法、スティーブンステクニックの解説に割いている珍しい本といえます。
その内容の多さと複雑な文章、加えて文字と写真のみの解説ゆえに、前半の途中で投げ出してしまうか、もしくは漠然とした理解のまま後半部分を進めていく読者が多く現れました。
実はこの前半の解説部分こそが、M.O.M.の核心であり、他の解説書と一線を画した特別なものにしている所以です。
それでは、なぜこれほどまでに長文で難解な説明になっているのでしょうか。
スティーブンステクニックは一瞬の思いつきや、既出の奏法の亜流といった一朝一夕で作り上げられたものではありません。
まわりの奇異の目に晒せれながらも、スティーブンスは自分が信じた音楽を実現するため、当時の科学的な観点から、それまでの音楽の曖昧性をできるだけ排除し、普通ならば見落としてしまうような仔細な動きの変化に関する試行錯誤を、10年以上も繰り返しました。
結果、M.O.M.は単なるグリップの解説書ではなく、マリンバという楽器の演奏に必要なあらゆる動作、Mouvementに関するより広範で体系的なものになってしまったのです。
もし、単純なグリップの方式だけを学ぼうとしているのであれば、それはこの本のわずかな価値しか引き出せていません。
グリップや手だけでなく、指や腕、足に至るまで身体全体をいかに無駄なく効率的に演奏に反映させるかがスティーブンステクニックの真価であり、その点ではそれ以外のグリップ、トラディショナルグリップやバートングリップなどにとっても非常に有益な考察が多く含まれています。
後半の590におよぶエクササイズの譜例も、前半の解説を熟読、理解した上で取り組まなければ内容の乏しい時間を費やすことになってしまいますが、逆を言えば、探しているものは全て前半に記されている、といっても過言ではありません。
M.O.M. はその理論に科学、人体構造や物理学を取り入れていることが更に理解を難しくしています。
こうした考えは、当時バイオメカニクス(生体力学)の分野で先進的だったアメリカという国柄もあるかも知れませんが、効率性や力の伝達といった考え方が打楽器の世界でも積極的に活用され始めていました。
スティーブンスの師でありジャズ界を代表するドラマー、ジョー・モレロの卓越したテクニックとコントロールもこの科学的な影響を受けており、スティーブンステクニックは彼の考えをマリンバという別の楽器で見事に受け継いでいます。
人体構造の基礎的な考えが今でもさほど変わらないように、本来、スティーブンステクニックには人体の動きに逆らう部分はほとんどありません。
そのコンセプトや自然な動き、握り方を科学的な見地から余すところなく書き記しているため、文字の上ではとても複雑に感じる箇所も、身体が素直に反応したときに全て当たり前のことのように読み解けるようになっています。
一つの奏法に関する決定的な基準として、M.O.M.は色褪せることなく長い間読まれ続けている数少ない書籍です。
それはトラディショナルグリップなどと比べてスティーブンステクニックが難しいことを物語っていますが、起こり得る多くの技術的な悩みや疑問に対して的確な答えを備えた手引きがあるという点で、他の奏法とはマリンバを学ぶ道のりが大きく異なります。
インターネットが普及した今日では多くの動画を手軽に視聴できるようになりましたが、余りに多すぎる情報の中から自分に必要なものだけを見つけ出すのは簡単なことではなく、ときに間違った情報を選んでしまうリスクもあります。
それらを上手に活用するためにも、M.O.M.は常に大きな手助けとなります。
M.O.M.は、あくまで技術的な原則に限った解説書であり、個々の音楽性を狭めるようなものではないからです。
もし、M.O.M.が本棚で埃をかぶっているならば、是非もう一度手に取り前半部分を入念に再読してみて下さい。
スティーブンステクニックに限らず、鍵盤打楽器の新しい発見やアプローチ、ヒントがそこに隠されているはずです。
7. プロセスとしての技術
一つの楽器を演奏するうえで、複数の奏法から選択ができる。
他の楽器と比べて、鍵盤打楽器は特に多くの選択肢が与えられていることが、その音楽性に象徴的な性格をもたせています。
楽器メーカーやマレットなどの選択も加わることで、個性というものが殊更顕著に表れる分野です。
そのため、どの演奏法を選ぶかはとても重要な行動になってきます。
言うまでもなく音楽性が技術に縛られてはいけませんが、技術がその後の音楽性を意図せず導くことは往々に起こり得ることです。
優れた音楽性が優れた技術によって引き出されるのであれば、その技術の特性を活かすことで、ときに困惑しがちな音楽性などに光明を見出す手がかりとなることもあるからです。
では、どの技術が自分に適していて、どのような理由で選べば良いのでしょうか。
この判断はとても難しく、楽器を始める最初の段階で明確な答えを出すことは恐らく不可能でしょう。
そもそも技術は数多の人を介して時間とともに洗練されていくものであって、オリジナルが完成形ではありません。
かつてはその人にしかできなかった奏法も、知識としてまとめられることで分析や効率化が進み、別の技術と混じり合いながら少しずつ人々に浸透していきます。
音楽において、このような技術や奏法の変化は必ず起こることで、誰しもが抱える異なった表現の欲求が、自身の技術の変化に常に影響を与えているからに他なりません。
その点で、完璧な技術の存在を、過去や現在のどこかに求めるのは余り意味のあることではありません。
技術とはその時々に取捨選択されるものでなく、あらゆるものを取り込みながら削ぎ落としていく作業の繰り返しです。
スティーブンステクニックもこのようにして生まれ、同様に、別のものへと吸収される技術であることに変わりはありません。
コンサート、録音、指導者、教則本、動画、その出会いのきっかけは何であれ、心動かす未知の技術に触れる機会があるならば、変化を恐れることなく大いに活用すべきです。
もちろん、マリンバに限らず、何かしら新しい技術を習得するときには、多くの時間と大きな覚悟が必要でしょう。
ただし、技術=基礎=反復、毎日の練習を継続や延長と捉えているのであれば、その練習は非効率的な時間の使い方をしているかもしれません。
反復練習は大事ですが、それと同等に、考える時間、身体と素直に会話する時間が技術の向上には大切です。
昨日と今日の練習は違う、このことを忘れずに日々取り組むことが肝心です。
自分の身体をコントロールすることは、思っているより遥かに難しく、同じ身体をもった人間が2人といないように、それぞれの課題や、つまずく箇所、疑問は千差万別です。
ときに、練習の方向性が間違っているのではないか、と自分を見失うことも多々ありますが、その時は改めてその技術の根本に客観的に立ち戻ることが大きな助けとなる場合もあるはずです。
修得の時間に個人差が生まれるのは当然ですが、焦る気持ちを抑え、少しずつ前進していくその過程こそが、のちに光輝く個性となって人々を感動させることに繋がるのです。